人生を変えた一冊:空想特撮映像のすばらしき世界ウルトラマン

人生で大切なことはすべてウルトラマンから学んだ

1973年、中学生だった私は、近所の書店で「空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン」という本を見つけました。ページをめくっていくと、そこにはウルトラマンの世界についての素晴らしいドキュメントが記されていて、すぐに購入したのです。

平成ウルトラマン版もある模様→参考:国立国会図書館蔵書

将来はウルトラマンの中に入る人になりたい

幼稚園児・小学生の頃、「ウルトラマン」の再放送をよくテレビで見ていました。ウルトラマンの世界に夢中になり、自分でもヒーローになって怪獣と戦ってみたくなりました。

なぜか物心ついたときからウルトラマンはフィクションで着ぐるみで有ることを認識していました。
将来の夢は「ウルトラマン」ではなく「ウルトラマンの中に入る人」でした。スーツアクターですね。
当時、ウルトラマンの関連本といえば、幼児や児童向けのものしかなく、深い知識や裏話が書かれた本は存在しませんでした。

大人目線でウルトラマンを見るきっかけ

中学生の時に、「空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン ウルトラQ」を手にしました。
この本には、ウルトラマンの誕生秘話や、当時の特撮技術の真相など、普通の子供が知り得ない情報が詰まっていて、ウルトラマンの世界への熱意が一層強くなったのです。

以前はただ見るだけだったものが、作品の裏側に隠されたストーリーやエピソードにも興味を持つようになりました。
円谷プロの円谷ファミリーの特撮技術、まだアメリカの占領地だった沖縄から上京した脚本家、金城哲夫、上原正三が描く沖縄の苦悩をだぶらせた多くの作品。善悪を超越した異質なストーリーを描く実相寺昭雄監督。今でも評価が高いウルトラマンや怪獣をデザインした成田亨など名を初めて知り作品世界に大人目線で見るようになったのです。

・後に怪獣の名前になった「ウー」や「ベムラー」はウルトラマンの企画段階のタイトルだったこと。
・カラータイマーは制作費等の問題で後付されたこと。
・スーツアクターは次作でアマギ隊員を演じる古谷敏だったこと。
・怪獣、星人の名前に沖縄の方言が多数使われていること。

とにかく読めば読むほど味わい深い本です。
中学時代は常に枕元にありました。

人生を変えた一冊

今となっては更に詳しい情報がネットの世界にゴロゴロありますが、当時は貴重な資料でした。

少年時代は平和なあっけらかんとした時代でしたが、当時の映像作品の現代劇は戦争の影響が色濃くありました。まさかウルトラマンのシリーズにもそんな想いを込めて作られていたとは知らずに育ちました。

正義と悪ではなく、何が正義なのか?を考えるようになり、反戦・差別についても考えるきっかけになったのはこの本でした。

(敬称略)

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