実践編 SDガンダム改造計画!100均素材で家康に改造

ジャンク品をオリジナルガンプラに

手軽に作ることが好きなSDガンダムのガンプラを100均の素材を使って改造し、ガンダム版の将軍「徳川家康」に仕立てるプロジェクト、前回の続き実践編です。
ベースになるのは「SDW HEROES ヴェルデバスター隊員」です。

前編はこちら

スカルプチュアで兜の角を複製

今回は実践編です。まず、このジャンク品になったSDガンダムを分解します。SDガンダムは作りが簡単なのでほとんど道具を使わずに分解できます。

徳川家康に改造する予定なので、パーツとして以前ガチャポンで買った徳川家康の兜の角を取り付けることにします。ただし、本物を使うのはもったいないし、これは金属製で重たすぎるので頭部につけるのは困難です。バランスが崩れて倒れてしまいます。

そこで今回は、パーツの複製に挑戦します。 パーツの複製はネイルアートで使うスカルプチュアの素材を応用します。スカルプチュアは元々、爪の補強や装飾を目的として開発された技術ですが、同じ原理を使ってガンプラ「おゆプラ」のパーツを作ることが可能です。と言っても、私も初挑戦です。詳細については別のブログで書いていますので、そちらをご覧ください。

方法としては100均で購入したお湯プラを使います。お湯プラは子供用のプラスチック粘土で60°C以上のお湯につけると柔らかくなり、自由に形を作ることができます。冷えて固まるとゴムのような弾力性があるプラスチックになります。

UVレジンのクラフトが趣味な方はよくご存知と思いますが、UVレジンを流し込む時の型取りづくりにも利用できます。型取りは通常はシリコン製の樹脂を使うのですが、この「おゆプラ」は型取りの代わりもできます。なぜなら、「おゆプラ」はレジンにくっつかないからです。同様に、スカルプチュアの素材にもくっつくことはありません。スカルプチュアではアクリルパウダーとグリルリキッドを混ぜて作ります。この2つを混ぜることで化学反応を起こし、硬い樹脂になります。

徳川家康の兜の角は特徴的で、シダの葉っぱの模様をしています。結果は写真の通りです。丸い輪っかの部分が「おゆプラ」にくっついて本体の方が壊れてしまいました。それでも肩の方はきれいにできましたのでここに、アクリルパウダーをまぶします。そこにアクリルリキッドをポタポタとスポイドで垂らしてなじませていきます。すぐに固まり始め、数分で完成します。取り外す際はお湯プラは柔軟でしなりがあり、そう難しくはありません。細い部分があり埋まってしまっていたので、こういう場合は再度お湯につけることで柔らかくなります。

ご覧のように兜の角が複製されました。やや貧弱なのでエポキシボンドで補強し、薄いプラバンを貼りました。周りの余分な部分を切り取ってルーターで成形します。金色の塗装をしてグレーの筆塗りで濃淡をつけました。

オリジナル塗装で徳川家康風に

次にこのSDガンダムの塗装をやり直すことにしました。最近、大河ドラマで松潤が徳川家康役をやっていますね。その画像を見てみると金色の鎧を身につけています。このSDガンダムは黒がベースですが、所々に赤と青の光るシールが貼られています。このシールを剥がし、金色の塗装を施しました。

ベースとしては黒ですが、基本的に黒と金のツートンカラーにします。シンボルとしておそらく戦国武将で一番有名な家紋「徳川葵」をつけたいと思います。ただ、今のままでは家紋のデカールを貼る部分が見当たりません。そこでガラクタの中から壊れた食玩のおまけのガンプラから肩パットを外し、このSDガンダムの防具にすることにしました。頭部に大きな角をつけたので体のバランスをつけるためにも、この防具が役に立ちました。ちょうど腕の部分が寂しかったので、ここに取り付けました。そこに家紋をデカールとして貼り付けました。ちょっとオリジナリティを出すために、カラーリングをアシンメトリーにします。右手の腕の防具は艶のある黒、右手はゴールドに徳川葵の家紋。同様に右足の足首の装具は黒、左足の装具はゴールドに家紋。

最後にレーザーぽい剣を持っていたのですが、これを日本刀みたいにシルバーに塗りました。これで完成です。なかなかいいんじゃないでしょうか。とりあえず、スカルプチュアの技術が未熟ではありますが、使えるということがわかったのは成果です。

徳川家康とその家紋に関する豆知識

この度、SDガンダムの改造において、徳川家康とその家紋をモチーフにした要素について、豆知識としてご紹介いたします。

徳川家康について

徳川家康は、室町時代後期(戦国時代)から江戸時代初期の日本の武将であり、戦国大名です。江戸幕府の初代征夷大将軍でもあります。安祥松平家の5代当主として、徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の祖となりました。織田信長との織徳同盟を基盤に勢力を拡大しました。豊臣秀吉の死後、石田三成との関ヶ原の戦いに勝利し、豊臣氏に対抗できる地位を築きました。1603年に後陽成天皇により征夷大将軍に任命され、江戸幕府が264年間続くこととなりました。関ヶ原の戦い後も、領地は削減されましたが、豊臣氏(豊臣秀頼)は一定の勢力を保っていました。しかし、方広寺鐘銘事件という方広寺(京の大仏)の鐘銘を巡る紛争が勃発し、豊臣方との戦争(大坂の陣)が始まりました。1615年には大坂夏の陣によって豊臣氏を滅ぼし、全国の支配を確固たるものにしました。彼は三英傑の1人でもあります。

徳川家康の家紋「徳川葵(三つ葉葵)」

豊臣家が滅んだ後、徳川家康の権威が高まるにつれて、徳川家の家紋である葵紋は特別なものとなっていきました。家康が征夷大将軍に就任した後、次第に他の家の三つ葉葵に限らず、葵紋の使用は控えめになりました。松平家には使用を遠慮させ、伊奈家では使用を禁じました。一方で、徳川家の家臣である本多家は「丸に立葵」の紋を使用することが許されました。また、准家門の鳥取池田家(池田光仲は家康の曾孫)も一部葵紋の使用が許されました。制限のため、葵紋の形状に似た河骨紋が使われる一族や家も現れたと考えられています。このように、徳川将軍家や一門に制限されていたものの、江戸初期には御用商人の長持などの道具にも描かれていたそうです。正式な制限は享保8年(1723年)に行われました。

葵紋には、「丸輪(丸)」を含むものの他に、「隅切り角」や「隅切り折敷」(守山三つ葵・西条三つ葵など)、「五環」、「菊輪」などがあります。これらは徳川一門の使用紋ですが、御家門や御連枝などの松平家の中では蔦紋や五三桐、唐団扇などの替紋を使用することもありました。

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