クラウン最後の大物外国人ウィリー・デービス

1978年  大物メジャーリーガーが来日

1978年ウィリー・デービスが我がクラウンライター・ライオンズにやってくると聞いて期待と不安が交錯しました。
当時現役のメジャーリガーが日本のプロ野球に入団することは少なく3Aの選手が多くメジャー経験はわずかという選手が大半でした。
1977年、中日ドラゴンズがデービスを獲得した時、既に年齢が36歳と全盛期は過ぎているとはいえ、前年サンディエゴ・パドレスで141試合に出場した現役バリバリのメジャーリーガーです。

ウィリー・デービスは中日ドラゴンズに入団

デービスはメジャー通算2547安打・397盗塁、MLBオールスターゲームに出場経験、ゴールドグラブ賞獲得、ワールドシリーズに進出したこともある正真正銘の大物です。
来日一年目のドラゴンズではランニング満塁ホームランというインパクトを残し7月には月間MVPを獲得するなど大物メジャーの片鱗をみせます。ところが首脳陣やチームメイトに高圧的な態度をとり度々トラブルが勃発。翌8月には守備中に指を骨折し戦線離脱、結局130試合中出場は72試合、ドラゴンズはデービスがいると不協和音が絶えないことで放出を決定します。

紆余曲折を経てクラウンへ移籍

ここで獲得に名乗り出たのがクラウン、無償に近い金銭トレードで移籍が実現しました。前年セ・リーグで活躍した現役メジャーリーガーは知名度も抜群、観客動員に苦慮するクラウンには最適な人材だったのです。1978年から監督となる名匠・根本氏ならトラブルメーカーのデービスも上手くコントロールできると期待したのでしょう。
私もテレビ放映がある中日・巨人戦でデービスの俊足はダイナミックで魅力的と感じていました。彼がトラブルメーカーであることはマスコミでも報道されていたのでファンにも周知の事実、シーズン途中で帰国したりしないだろうかと心配もありました。

根本マジックで試合では優等生に

クラウン時代は127試合に出場し打率.293、18本塁打と期待通りの数字を残してくれました。しかし私の記憶には強烈な印象は残っていません。前年の反省で大人しくなったのかも知れませんし、パ・リーグのマスコミの扱いは小さいので話題にしてもらえなかったのかも知れません。
後日談で知ることになりましたが、単独取材には必ずギャラを要求しマスコミ陣の評判がわるかったそうです。一方でチーム内での問題行動はあまりなかったようです。根本監督のおかげでしょうか。

破天荒なウィリー・デービス選手はクラウンライター・ライオンズが西武に身売りする時は残留組には入りませんでした。翌年メジャーリーグに復帰するも出場機会はほとんどなくその年で引退たそうです。

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