衝撃!福岡からプロ野球チームがなくなるなんて
そのニュースは中学2年生の少年には衝撃すぎた。
40歳代以下の方は、福岡のプロ野球チームといえば福岡ソフトバンク・ホークス。
しかし、大昔、福岡といえば西鉄ライオンズこそがおらが町の球団だったのです。年間42勝という信じがたい記録を打ち立てた鉄腕・稲尾、計測不能の特大ホームランを放ったといわれる怪童・中西太など彼らは野武士集団と呼ばれ、当時最強だったジャイアンツを日本シリーズで三年連続破り、この当時の西鉄ライオンズは日本プロ野球史上最強のチームと称されたレジェンド球団だったのです。
弱さゆえに勝利は最高
そういう私も野球がわかる年齢になったときは既に万年Bチームの弱小球団になっていました。これはプロ野球史の汚点である「黒い霧事件」に選手が関与したと疑われ、主力選手がごっそりと抜けたからだと聞いていました。
地元大手の鉄道会社「西鉄」は球団経営から身を引き、チームオーナーは太平洋クラブ→クラウンライターへと点々と移っていきます。
野球少年だった私(観る専門)は、弱いライオンズを必死に応援しました。たまに勝利するとその喜びは大きいのです。常勝チームにはわからないでしょう。テレビ放送はないものの地元ラジオ局がホームはもちろんビジターも全試合をラジオ中継してくれました。
私は東芝のアクタスパラボラ(ラジカセ)にかじりつき、おそらく大げさすぎる実況中継に聞き入ります。勝利すればヒーローインタビューを録音していました。その夜のプロ野球ニュース(フジテレビ系)でVTRが流れることを願うのです。注目・人気のカードが優先され注目度が低い試合は結果のみになるからです。そんな私に激震がはしります。
大人たちはクラウンライター・ライオンズを埼玉へ連れて行く
記録をみると1978年のシーズン終了後の10月、またもや親会社が変わるというのです。例年の戦力をみれば資金力が少ないのは中学生の私でもわかります。しかし次のオーナーになるという「西武グループ」というのが何なのか?さっぱりわかりません。
「ライオンズ、西武に身売り、埼玉へ」というような見出しだったと思います。
いやいや、それはないでしょう、そんな突飛な話は聞いたことがない(当時はね)。
そんなこと福岡の人が許すわけがない。
そう高をくくっていた我々福岡県民も、粛々と準備がすすんでゆくのを傍観するしかありません。
あわててライオンズを渡すなという市民活動もむなしく
大人たちはクラウンライター・ライオンズを埼玉に連れて行ってしましました。
クラウンライター・ライオンズは弱かったけど超魅力的な球団でした。
今回はプロローグですが、魅力とどこが悲運のなのかを綴っていこうと思います。
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